東日本大震災13年

どの話でも必ず言ってしまいますけど、もうそんなに経つんですよね。
先日のテレビで、当時、5歳の子が成人を迎えてそれぞれの道に進んでいってるようです。
5歳くらいだと記憶に残る最後の年代じゃないかと話されていたんで、確かに話を伝えられるほどの記憶は限界の年齢かもしれませんね。
ってことは、今どきの高校生くらいだと全然分からない子も多いのかもしれませんね。
それだけ時間は経ったんだなって思いますけど、もう一定の年齢を過ぎてしまうと、この時間は昨日のように思い出すことがあります。

何度か書いてますけど、阪神淡路大震災をきっかけに家具などが倒れ、何もできないまま下敷きになることを知って部屋の改装から整理整頓をはじめ、東日本大震災で本当の津波の怖さを見たのと非難と備蓄を考えるようになり、胆振地震で震源地から近いと防災情報が間に合わず、揺れ出してから鳴ることを知って、結局、普段からの心構えが必要なこと、時間帯や季節も考える必要があることを改めて感じ、それに合わせて備えはしてきました。
特に胆振地震では、今までの震度4と言われる状況では簡単に物は落ちない状況にしていたにもかかわらず、以外に色んなものが落ちたり、揺れながら深夜の停電で懐中電灯も探せない状況を初めて経験したんで、備え方と言うのも考えてきました。
それでも、能登を見ると「備えてたものが使えなかった」って話を聞くと、その時々での違いにまで対応するのが難しいなって感じてます。

東日本大震災では、今でも避難生活の方がたくさんいるそうで、元の土地に帰れない、他にも移住が難しい方もいるようで、そうなった場合の状況は想像が難しいですね。
今のところ、移住などに迫られてもどうにかなる状況ではありますけど、もし、仕事が出来ない状況になってしまったら、支払いもありますし、どうやって行けば良いのかと考えることがあります。
その辺りの話を聞いたことがないんで、現場の現状だけじゃなく、どうやって生活を支えているのか少し知りたいところです。

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