早いもんで、あの地震から10年なんですよね。
これまでにも書いたかと思いますけど、少し振り返ってみます。
あの日は自宅にいて、部屋でテレビを見てて、地震だって言ってるのを見て、そのニュースを母親に伝えるために居間へ行きテレビをつけました。
その時、東京のスタジオが激しく揺れてるところが放送されて、凄いことになってるねと言ってる間にこちらも激しく揺れてきました。
震源地から考えて、こちらはそれほど揺れるなんて考えていなかったんですけど、こちらまで震度4、とりあえずテーブルに掴まるしかない感じでした。
これまでも震度4は経験してはいたものの、あんなに横に長く揺さぶられる感じは初めてでした。
テレビで再度激しく揺れてるのが映されると、こちらもしばらくしたら揺れ出して、リアルタイムで揺れが伝わってくる感じを経験したのも初めてでした。
間もなく津波の影像になって、太平洋側の各地の凄い映像になって、これまた凄いのを見てしまいましたけど、夕方の北海道ローカルに放送に変わったら、こちらの海岸でもかなりの被害が出ているところで、奥尻の津波の影像は覚えてたものの、なかなかショッキングな感じでした。
阪神淡路大震災がきっかけで部屋を改装して、部屋を片付けて、身の回りから物を無くす対策をしたのが第1弾。
これまでも多少の用意はしていたものの、明確に避難袋やグッズを集め出したのが東日本大震災の第2弾。
備えはそこそこあったんで、特に困りはしなかった胆振地震で、その備えも不十分、意外に使えなかったことが分かって買い替えなどした第3弾。
徐々に進化はしてきましたけど、ここに来て改めて考える時なんでしょうね。
一番嫌なのは、死んでしまうよりも生き残った場合にたくさんの助けが必要な状態で、誰かにたくさん迷惑をかける事なんですよね。
できるだけ自分でできることをやって、少しでも迷惑をかけないようにしたいです。
去年からは、新型コロナの事もあるんで、これまでの備えに加えて新しい事も考えなきゃなくなりましたね。
家にいる分は良いとして、それ以外の場所のことで考えることが必要なことが出てきたんですけど、自分一人では対応しきれない部分がいくつもあって、それはどうしたら良いのかって最近考えてます。
備えは日ごろからとは言われますけど、そうそういつでもできるわけではないんで、こう言う節目はきっかけになるかと思うんで、これからも進めていかなきゃダメですね。