Starlightを振り返ってみましょう。⑤

各コーナーの変化を見ていきましょう。

Starlightとしてオープンしたとき、各部屋のタイトルが違いました。
聖子ページが「Good for Seiko」、ピロコページが「Let’s Go Mogeshan」、個人用が「作者の部屋」の3つでした。
この時、聖子ページがディスコグラフィーと歴史の一部を公開、ピロコページが「工事中」の表示、作者の部屋が掲示板だけ、どの部屋とも関係ない「誰でも掲示板」でオープン。
まず、聖子ページの完成を目指しました。
それから数か月後、ピロコページの一部を公開。
当初、基本は誰でも掲示板を1つだけで、どちらのファンの方とも一緒にやる予定でした。
ところが、ピロコページオープン後、徐々に人が集まるようになってくるとどちらのファンからも「一緒は嫌だ」と言われてしまいました。
その意見の中には結構酷い言われようのもあったんですが、「どっちもファンです」と言う人以外の利用がない状況だったんで分けることに。

無料掲示板を利用すると、不安定なサービス業者だと数か月でサービスが終了してしまったり、たくさんの広告表示、危険な感じがする出会い系などの広告など頻繁に変更することになります。
広告がほとんどなく、安定的なところは、1人1個だけだったりするんで、複数設置はなかなか大変なことでした。

1999年
作者ページに「猫が寝込んだ」。
これは、自分がこの1年で作った画像と公開を止めたが像を披露するものでした。
自分が寝込むほど考えたのに未公開ってところでのコーナー名。

2000年
ピロコページがまだディスコグラフィーと掲示板しかない状態だと言うのに、「クイズコーナー」設置。
次に行われるライブの1曲目を予想したり、アルバムで好きな曲募集して1位になる曲を予想するなど。

1度ここでピロコページに挫折しかけます。
全くアクセスのない日が数か月続きます。
おそらく、コーナーが完成しないことにも原因があったかもしれません。
一旦、このページを停止して、岡田有希子ページを増やそうとします。

2001年
全コーナータイトル変更の大リニューアル。
現行の「Seiko Room」「Piroko Room」に。
PirokoだけはHirokoにするかかなり迷いましたが、「永遠の18歳」を願ってPirokoにしました。
その頃、ピロコページにしばらくお見かけしなくなりましたが、毎日のように閲覧、投稿してくれる人が現れます。
作成の継続を決めます。

ドメインを取得して、掲示板はCGIで設置。
各コーナーもCGI化。

沙也加ちゃんのデビューが分かります。
慌ててページを作成。
プロフィールと掲示板のみの設置。

チャットを聖子ページ、ピロコページに設置。
まだこの頃でもピロコページは完成していません。

2002年
ピロコ歴史コーナー一部開始。
ガラケー対応開始。

これ以降、画像のリニューアル以外の変更がほとんどありません。
実のところ、この数年の間にプライベートで色々あり、考えている余裕があまりない時代でした。

2003年
聖子ページだけガラケーで「聖子ソングのしりとり」コーナーを開始。

2006年
リニューアルに合わせて「Quiz Room」「しりとり」終了。
ピロコ歴史コーナー全面的に開始。
オープンから完成まで8年もかかってしまいました。
更に、リニューアルに2~3年かかるようになります。

2011年
これまでフレーム型だった表示をノーフレームへ。

2016年
ガラケー対応を終了。
スマホ対応へ。

2017年10月3日
突然の利用していたCGI仕様禁止の連絡。
それによって、8~9割のページが使用できなくなりました。
11月5日には削除。
掲示板は別の物へ。
元々HTMLで構成していたものだけの表示。
そして、2018年用のリニューアルデータは、全部お蔵入りへ。

2018年4月1日
Wordpressを使用して再スタート。
現時点ではまだ、部分的にしかデータは復旧してません。
もうしばらくかかりそうです。